人生一代の目標

どうしても、心が自分を先導している。不思議だ。

はっきりした目標があれば、それに向かっているが、その目標や課題が達成されるか終了すると、またぞろ、心がそぞろ歩く。

まるで餌を求めて歩き回る鶏みたいだ。せかせかと歩き回る。

自分を見つめないためくないためか、自分と向き合うことを知らないためか。知ってはいても、それが退屈なため続かないのか。

目標や課題がその場凌ぎだからだろう。その場凌ぎが楽なのだろうか。ふとした時意外は自分を忘れることができるため。

ふとした時、「自分の人生はこれでいいのか?」と問い直すことを堂々巡りしている。

自分を見つめることを避けながら人生の終焉に向かうのだろうか。餌をあてがわれているブロイラーが廃鶏となるように。

人生一代の大きな目標を設けることが必要なのだろう。ふとした時や人生の終焉で納得するためには。