体は歳を取るが、心は歳を取らない

ダライダマの侍従医の本を読んだ。その本によると、
人間の健康は心にあるとのこと。まったく同感する。
喜怒哀楽人生とは高校の時に友人が言っていた事だが今だに憶えている。
いい言葉だと思う。何も起こらないことがわかりながらも、
何かが起こるかと期待しつつ町に徘徊に出かける。
高校生の時もそうだったが、大人になった今でも、
心が空虚な時はその行動を繰り返している。
自分自身と向き合うことは難しいことだと今でも思う。
何もすることが無く一人でいると何かを求めている。
つまり、自分自身と向き合うことを回避しているのだ。
禅の坊さんは座禅などで自分と向き合っているようだが、
本当にそうだろうか?没社会で一人でいるわけでは無い。
お寺では同輩先輩後輩種々な人がいる。一寺では檀家ありである。
東京砂漠とは昔の歌だが、あれだけの人がいる中で言葉交わす相手がいないことだ。
前後裁断、無一物、素敵な言葉だと思う。
「過去にとらわれず、今をくよくよ思わず、未来を思い煩わず、
現在を落ち着いて受け入れる。
自分を誇らず、貶めず。
後で後悔するようなことをしないで前向きの境地で今を過ごす。
・・・中村元ブッダの言葉新潮社講演テープより」
人は人の助けが必要だとつくづく思う。2500年前の釈迦の言葉を現在によみがえらせ
今、私はその言葉を中村元を通して聴いている。人が人を助けている事実だ。
2500年前の人が現在の人を通して現在の人を助けている。
人間の精神は進歩せず2500年前も今も欲に行動が支配されている。
人間の寿命が200年であれば今よりよい社会になると思う。
200年の寿命時間で淘汰された価値観が欲に支配される行動を修正するような気がする。
今の年寄りが感じている生きているうえで最も大切な価値は「人に優しくすることだ」
という事を聞いてもよくわかる。体は歳を取るが心は歳を取らない事実を。
生臭い人生のひと時を過ごした年寄りが異口同音に言うのは、体を傷つけることはするな、人を傷つけることはするな、人に優しくあれである。これが何十年も生きてきた人間の言葉である。つまり、生きてきた約100年後に到達した価値観である。
残念なことは150年200年生きた人の価値観が聞けないことである。どのような価値観になっているのだろう。